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キハ58系改造のお座敷気動車「こまち」と「エレガンスアッキー」です。秋田新幹線開業時に「こまち」は「おばこ」に愛称が変更されました。(1996年8月)
高知県内の主要都市を結ぶ急行「あしずり」は、1990年に特急に格上げされました。(1998年12月)
1999年3月に急行「よしの川」は特急「剣山」に格上げされ消滅しました。(1999年2月)
JR東日本で動態保存されていたモハ40型は、2000年の京福電鉄ブレーキロッド折損事故の影響で営業運転から引退しました。クモハ40074は鉄道博物館に保存されています。(1998年1月)
国鉄羽幌線築別駅と築別炭鉱駅を結んだ鉄道です。(1999年12月)
釧路駅から雄別炭山駅を結ぶ炭鉱鉄道でした。(1999年12月)
皆中稲荷神社の鉄砲組百人隊行列をデザインした駅スタンプです。(1995年9月)
DE10を先頭に短い編成を車掌車で締めくくります。模型のような、好ましい編成ですが経営的には厳しかったのは明らかです。(1999年1月)
当時の最新鋭311系新快速です。ダイヤ改正までは「蒲郡」行きでした。この写真の前面行先表示は「豊橋」に合成しています。(1990年3月)
木次線のトロッコ列車です。12系客車改造で運転台も設置されました。日本では珍しいペンデルツーク(推進運転)です。(2006年4月)
ロータリー除雪用ディーゼル機関車DD14のロータリーヘッド部分を取り外した状態です。夏季は入換運用にも使われました。(2004年5月)
習志野電車区発行です。国鉄からJR総研がリニアの技術を継承しました。カードデザインは平成元年当時から見た未来の都市でした。(1989年3月)
1996年3月に165系臨時急行伊那路を格上げする形で、373系特急伊那路がデビューしました。(1996年7月)
121系は国鉄末期の四国電化時に登場しました。赤色帯は後に水色帯になりました。(1998年10月)
キハ110に置き換わる前は、この飯山線もキハ58系が主力でした。この塗色は、鮮やかで人気がありました。当初、車体側面にフランス語のロゴがありましたが、「E」の上部にあるアクセント記号「アクセンテギュ」が変な位置にありました。(1995年4月)
スイッチバックで有名な土讃線坪尻駅です。旧型客車からは暖房用の蒸気が見られます。(1998年12月)
大分駅は明治44年に開業しました。開業時の写真のようですが、まだ工事中にも見えます。(1999年10月)
札幌~函館間を結ぶ特急北斗です。現在も、130km/h対応のキハ183系北斗が運転されています。(2004年10月)
国鉄末期に越美南線イベント用に、旧型客車と無蓋車を改造したトロッコ列車が登場しました。越美南線は長良川鉄道に転換されたので、トロッコ列車は飯田線が新たなステージとなりました。(1988年7月)
国鉄末期から民営化直後は、JR各社ジョイフルトレインのブームでした。JR東海では、高山線や紀勢線向けにヤング向け(表現が古いがJRの記事による・・・)にキハ82系を改造したリゾートライナーをデビューさせました。(1988年8月)
JR東日本発足時に発行されたカードです。当時の東北新幹線のエース200系です。(1987年3月)
しばらくお休みしていましたが、運転再開します。
がんばって毎日更新しますので、今後ともよろしくおねがいします。